プロローグ:第二次世界大戦がどうやって終わったか
枢軸国:ドイツ・イタリア・日本 →敗北
連合国:アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国
第一次・第二次世界大戦の流れはYouTube大学で
【世界史⑦/10】激動の第一次・第二次世界大戦【2019年版】 (youtube.com)
NATO誕生のきっかけ
1945年第二次世界大戦が終わり、アメリカとソ連が世界の2トップに君臨しました。
自由主義のアメリカと、社会主義のソ連はお互い勢力を維持する必要がありました。
敗戦したドイツは、戦勝国であるアメリカ・イギリス・フランス・ソ連で管理することとなっており、首都であるベルリンも4国で管理する取り決めとなっていました。
ベルリンはのちに東ドイツとなるソ連側にありました。
アメリカ・イギリス・フランスは仲良くドイツの西側とベルリンの西側を、ソ連はドイツの東側とベルリンの東側を管理することとなり、その結果、こんな感じになってしまいました。
ソ連としては、「ベルリンをうちのものにして、東側を一括管理したいなー」と思っていました。
「そうだ、嫌がらせをしよう」と、1948年7月、西ベルリンと西ドイツの陸路ルートを封鎖しました。
そうすれば、自然消滅的に西側もあきらめるかなーと思ったのです。
しかし、西側は空路を使って西ベルリンに物資を送り「俺たちはあきらめないぞ!」という態度を見せつけました。
さらに、ソ連にびびった欧州勢がアメリカと手を組み、
1949年4月、NATO(北大西洋条約機構)を締結
逆効果となってしまったソ連は1949年5月封鎖を解除しました。
尚、ドイツはその後、西側が栄え、東側はいまいちだったため、西に逃げる人が多くなりました。
東ドイツは国境の警備を厳しくしました。そこで西ベルリンに目を付けた人は東ベルリンから西ベルリンに移動して行きました。やばいな、と思った東ドイツ&ソ連チームは、1961年8月、突然「ベルリンの壁」を作り移動を禁止しました。
しかし、共産主義は日に日に厳しくなり、東ヨーロッパでは脱共産主義ムードになってきました。
そして1989年11月9日、「申請すれば旅行で西に行ってもいいことにするか」という改革案が決議されたのですが、その後の記者会見を受けた担当が「出国可能になるよ。」「いつから?」「今でしょ」的な適当な回答をしてしまったため、市民は壁を崩壊するに至ったのでした。
NATOとワルシャワ条約機構
1955年西ドイツと東ドイツが成立、西ドイツはNATOに加盟しました。
対抗してソ連&東ドイツなど東欧諸国(ポーランド,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,アルバニア,チェコスロヴァキア)はワルシャワ条約機構を設立しました。
NATOと2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ
NATOの要は第5条「誰かが攻撃受けたら仲間が助けようね」という集団防衛に関するルールです。
これはヨーロッパがソ連の攻撃を受けた時を想定して作ったものでしたが、2001年のアメリカ同時多発テロで第5条が発動されました。
アメリカが助ける側だと思ったら、ヨーロッパが助ける側になり、「え!?そっち?」って感じです。
尚、アメリカは容疑者をビンラディンとして、タリバン政権を追放しようとアフガニスタンに侵攻、
12月に崩壊しました。
次にイラクに「大量破壊兵器があるのでは?」と国連が査察を決定し、2003年3月、イラクのフセイン政権を攻撃、4月に崩壊しました。
破壊兵器は結局無し。アメリカはアフガン・イラクから撤収。
権力者がいなくなったそのすきに生まれたのが、過激派組織イスラム国(IS)なのでした。
NATOとロシア・ウクライナ戦争
ロシアがソ連ーソビエト社会主義共和国連邦だったころ、ロシアとウクライナは同じソ連の一員でした。ベルリンの壁が崩壊した後、ソ連は解体し、ロシアとウクライナはそれぞれ独立しましたが、ウクライナの中にはロシア派と反ロシア派がいるのです。
ウクライナ領だったクリミア半島は2014年、突如独立を宣言し、「クリミア共和国」樹立を宣言し、そして翌日、自ら望む形でロシアに併合されました。
クリミア半島にロシア派が多かったんじゃないの?って感じですが、世間的にはロシアが盗った感じで非難されました。
ウクライナでは、元コメディアン・俳優のゼレンスキーが2019年、大統領選に当選しました。
イケイケのゼレンスキーは親米派だったので、ロシアは「やばい!このままではウクライナをNATOにとられてしまう!させるかー!!」と攻撃を仕掛けたのでした。
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